【活動報告】 2018.03.31 宿毛市坂ノ下地区を下見しました!
ガイドの会5社神社巡り班の3名と事務局で、宿毛市坂ノ下地区を元坂ノ下区長のご案内で見て回りました。
坂ノ下地区は、宿毛の中心市街地から松田川を渡った対岸に続く集落で、古くは船の貿易の拠点であった時代もあります。
東宿毛駅から古い石造りの宿毛橋を渡ると、坂ノ下地区に入ります。
坂ノ下地区については、下記の記事もどうぞ(^^)/
https://sukumo-darumayuhi.jp/reporter/report_detail/?id=345
坂ノ下地区は、宿毛の偉人21人の一人である「坂本嘉治馬(さかもとかじま)」の出生地です。
坂本嘉治馬は、18歳の頃(明治17年)、両親に無断で上京し、同郷の先輩で父親と親交のあった酒井融(さかいとおる)を訪ねます。酒井融から立憲改進党を結成し、東京専門学校(現、早稲田大学)を創立し、『国憲汎論』の執筆をつづけていた小野梓と紹介された坂本嘉治馬は、小野梓が立ち上げた東洋館書店で働き始めました。明治19年の小野梓の死後、東洋館を継承するも経営に行き詰まり、解散。自ら独立し冨山房を創業、国民百科辞典の出版で成功し、出版社として成功を収めました。
その後、坂本家は坂ノ下地区の天満宮や図書館など宿毛市に様々な形で多額の寄付をしており、現在も文教センターにある図書館は坂本図書館と呼ばれています。宿毛市史によれば、
子息守正も又父の業を継いで冨山房を経営するかたわら、郷里のためこれまた巨額の浄財を投じてその発展に貢献している。宿毛高等学校は彼の出資によってはじめて設立が決定したもので、大東亜戦争のまっ只中に当時の金300万円(現在の3億円?)を彼が寄付して県立旧制中学校として設立されたものである。宿毛高等学校並に宿毛中央公民館前に、彼の美徳を記録した頌徳碑が建立されている。
と記載されています。
また、坂ノ下地区には、坂本嘉治馬の偉業を顕彰する石碑と胸像が残されております。
これらをご案内するコースを作りたいとも思っておりますので、続報にご期待ください!
<坂本嘉治馬の胸像と石碑が設置されているひろば>
<坂本嘉治馬の胸像>
<坂ノ下天満宮の様子>
<坂ノ下天満宮の狛犬>